この再開発は3区画に分かれており、都営住宅の建て替え事業が2019年12月に竣工とのこと。
都営北青山三丁目アパート
https://skyskysky.net/construction/201984.html
民活事業は「ののあおやま」という街区名称に。
「ののあおやま」
https://pdf.irpocket.com/C8804/mHyw/faQ0/gc5E.pdf
なぜこのような広大な土地が表参道と青山通りの一枚入ったところに存在するのか?それはここには東京府青山師範学校及び附属小学校、旧制中学などがあったからである。
1900年(明治33)年に東京府師範学校及び附属小学校として小石川区竹早町からこの地である赤坂区青山北町5丁目に移転・開校した。1908年(明治40年)、東京府青山師範学校および東京府青山師範学校附属小学校と改称、1936年(昭和11年)に世田谷下馬町に移転した。そして1939年(昭和14年)から翌年までは東京府立青年学校教員養成所が置かれた。1940年(昭和15年)には東京府立第十五中学校(東京都立青山高等学校の前身の一つ)がここに開校した。しかしながら、1945年(昭和20年)5月の米軍による東京大空襲に焼失した。
今となっては昭和の空間だったのだが、都営住宅の耐震化整備に伴い高層化されることとなった。それは以下のプロジェクトである。
北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei04.htm
基本計画
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/data/saisei04_12.pdf
2015年当時の都営青山北町アパート
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-461.html
東京大空襲の時、昭和20年5月、表参道と青山通りの交差点での火の回り方の状況が描写されている。角にあった山陽堂書店、現在もある、の地下に逃げ込んで逃れた云々。
ワシントンハイツ :GHQが東京に刻んだ戦後
https://www.amazon.co.jp/dp/4101359865/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_VLm8EbM6D28RY
No comments:
Post a Comment