Wednesday, 31 December 2025

ソフィア追憶

 ソフィアのライオン橋とKnyagina Maria Luisa Blvd.を走るトラム、新型車輌ですね、左奥に尖塔がバニャ・バシ・ジャーミイ Централна джамия гр. София - джамия „Баня Баши“、正面に聖ネデリャ教会 Катедрален храм „Света Неделя“、その先がヴィトーシャ通り、そして、ヴィトーシャ山。2025年12月30日の写真、小綺麗になっている。

ライオン橋の先、左側、ジャーミイの手前のグロリアパレスホテルに1996/97年に何度か宿泊した。通貨危機真っ只中で、ヴィトーシャホテルでクレジットカード決済が出来ない通知があり、決済できるホテルがここだった。部屋が通りに面していてオンボロなトラムの走行音がうるさかったが直ぐに慣れた。毎日毎日、ブルガリアヨーグルトを朝食に食べていた。

写真: fb sketch of Sofia

Monday, 29 December 2025

1988年、ダマスカスにて、追憶

 1998年はダマスカスで都市交通マスタープラン策定調査に従事していた。

YECとKEIのJVで受注しYECの小寺会長が調査団長だった。実質的には上司だった川村哲夫が取り仕切っていた。そして私が一番年が若く、川村の指示の下、庶務的なことをやっていた。その川村哲夫は、12月に横移動でダマスカスからパリーサンパウロを経由してアスンシオンへ移動、そして現地で体調の異変が起こる。年末、ダマスカスから会社に電話したらいたので驚いたが、年明け早々もアスンシオンのプログレスレポートを作成していた。昼食に誘って蕎麦屋へ行ったのが川村との最後の食事になっただ。既に、診察を強く薦めるも行かず、小寺会長から強く要請してもらい1月中旬に会社のすぐ近くの共済病院へ入院した。私は3月に入りブカレストへ出張し、到着したその日、3月3日だったと思うが、元上司の吉田(ブカレスト業務の総括)が空港まで迎えに来ていた、気になっていたのだろう、車の中で状況を説明した。ホテルまで送ってもらい夕飯を約束して別れた。後で、その直後に連絡が入ったと告げられた。肝がんで急逝、51歳だった。鎮魂!

写真は川村が亡くなる前年の1998年、ダマスカスでのシーン。










Wednesday, 24 December 2025

ボスニア内戦で破壊され復旧したスタリ・モスト

スタリ・モストStari Most / Стари мостは

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタル旧市街、ネレトヴァ川に架かる16世紀、オスマン帝国スレイマン1世の命により建造された石橋(全幅 4.49m、全長30m、水面からの高さ24m)。モスタルの名にもなっているこの石橋がボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992-1995)中の1993年11月9日、クロアチア人勢力により破壊された(2004年6月23日に復旧)。
旧ユーゴスラビア解体に伴う各紛争は非常に複雑でなかなか平易に説明ができないが、スタリ・モストはその渦中で破壊されたので触れておく。

1989年の東欧民主化で東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次ぎ崩壊した。ユーゴスラビアにおいてもユーゴスラビア共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、構成する連邦各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始し、ユーゴスラビア解体が進展した。

1991年6月、クロアチアの独立宣言をきっかけに、クロアチア警察軍とユーゴスラビア連邦軍との間で武力衝突が勃発した(クロアチア紛争)。これを受けてセルビア人は自治区を設立して独立の動きに対抗しようとしたが、ボシュニャク人(ムスリム人)が主導権を持つボスニア・ヘルツェゴビナ政府はセルビア自治区を認めなかったため、両者間での武力衝突が生じるようになった。

1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。当時、同国には約430万人が住んでいたが、44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在していた。ボシュニャク人とクロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナの独立を推進したのに対し、セルビア人は分離を目指した。

1993年春、ボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力の間での対立が深まり、クロアチア人勢力は同年8月にヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国(1991-1996)の樹立を宣言した。クロアチア人勢力はセルビア人勢力と同盟を結びモスタルなどでは、ボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力の間で激しい戦闘が開始された。

 モスタルは東西に分断され、西側はクロアチア勢力が、東側はボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の勢力それぞれ支配することになった。1993年11月8日には両勢力の対峙により、クロアチア勢力側によりスタリ・モストは破壊された。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は1994年に入り米国が介入、NATOがセルビア人勢力へ空爆を行った。

1995年、NATOが攻勢をかけセルビア人勢力はクロアチア方面で敗退しただけでなくボシュニャク人勢力からの反撃にも対抗できなかった。この情勢によりセルビア人勢力も和平交渉への参加を決定し、10月13日に停戦が実現して戦闘が終結した。

冬至、かぼちゃと柚子湯

冬至

2025年の冬至は、12月22日(月)、昨日でした。北半球において日の出から日の入りまでの時間がもっとも短い日のことで、太陽が沈んでいる夜が最も長い日です。

冬至がいつになるのかは天文学的に決まり、毎年、12月21日か22日です。南半球では同じ日が、もっとも昼の時間が長い日である夏至になる。


冬至や夏至は、地球の回転(自転)軸を「地軸」に関係し、地軸は1年をかけて太陽の周りを回る「公転面」に対して、約23.4度の角度を持っている。この傾きが太陽の方に向いている時期は、暑く、昼が長くなります。反対に、太陽とは逆の方に向いている時期は、寒く、昼が短くなります。


「夏至」や「冬至」という日本での呼び方は、二十四節気という古い暦が基にになっている。二十四節気は太陽の動きにもとづいた暦で、月の動きをもとにした太陰暦が普通だった時代にも使われてきました。1年を24等分して、夏至・冬至や、その中間の日(昼と夜の長さが同じ日)を春分・秋分と定めている。

冬至the winter solstice

夏至the summer solstice


かぼちゃと柚子湯

冬至には、かぼちゃを食べ、柚子湯に浸かると言われていいる。かぼちゃは、体内でビタミンAに変わるカロテンや、ビタミンB1、B2、C、E、食物繊維をたっぷり含んだ緑黄色野菜で、新鮮な野菜が少なくなる時期、冬を乗り切るためにも冬至という節目にかぼちゃをたべ栄養をつけようというものです。かぼちゃの原産地は中南米で夏から秋に収穫され、風通しのいい涼しい場所だと2~3カ月間は保存することが可能です。


いつから冬至にかぼちゃを食べるようになったのかと言うと、江戸時代の文献には「冬至にかぼちゃ」という記述はなく、明治以降に生まれた比較的新しい習慣のようです。


もう一つの冬至の風習が柚子湯で、この習慣は江戸時代からあったようです。1838(天保9)年に刊行された、江戸の年中行事を紹介する「東都歳事記」によると、「冬至 今日銭湯風呂屋にて柚湯を焚く」との記述があります。「冬至」を「湯治」にかけ、「柚子」を「融通が利く」(体が丈夫)にかけて、銭湯が始めたとされています。


柚子は11月~12月が収穫期です。柚子の果皮には、風邪予防や保湿にいいとされるビタミンCや、血行改善を促すといわれるヘスペリジン(フラボノイド)などが豊富に含まれおり、旬の柚子が健康にいいことを経験的に知っていたのでしょう。

Tuesday, 23 December 2025

結露と風呂の残り湯

 結露、なぜ発生するのか考え直してみた。室温と外気の差が原因だが、室内の湿度も影響しているのでは。結露取りのペットボトルに付けるジョウロまで買って一生懸命にすくっていた、言われるままに。

落ち着いて考えたら、風呂の残り湯との関係があるのではと、ある無しで比較したら、あらまあ、でした。



Thursday, 18 December 2025

ユーラシアの運輸交通ネットワークの興亡

 ユーラシアの運輸交通を巡る覇権争いはミドルコリドー構想により楔を打ち込むことができるのか、という状況。


ユーラシアの輸送回廊を妨害しているのは誰か?


巨大で収益性の高い貿易動脈である中国欧州鉄道は、西側メディアで著しく報道不足となっている。

なぜか?ロシアの輸送に依存したこの鉄道の成功は、ロシアの孤立化が実現可能という見方と矛盾するからだ。

最近のポーランド・ベラルーシ国境封鎖は、北京とモスクワの間に亀裂を生じさせようとする明白な試みだった。封鎖は失敗に終わったものの、「中間回廊」、つまりロシアを迂回する代替ルートに光を当てた。これは、ロシアとイランの影響力を弱めるために米国とトルコの利害関係者が積極的に推進してきたルートである。


🔸セルビアはこのインフラ戦争の重要な戦場となっている。EU加盟候補国であるにもかかわらず、セルビアは戦略的独立を追求している。


🔸中国と最高レベルのパートナーシップを築いている。


🔸中国の一帯一路構想(BRI)の主要支持国である。


ロシアと中国の企業が建設したベオグラード・ブダペスト高速鉄道が開通し、中国のギリシャ港湾都市ピレウスと結ばれている。


対抗戦略:

1️⃣EUの介入:EUは突如、セルビアの鉄道区間への資金提供を申し出た。懐疑論者は、この動きはピレウス・ブダペスト間の接続を遅らせ、中国の貿易を阻害するための策略だと見ている。


2️⃣米国の港湾圧力:ワシントンはピレウスにおける中国の支配に異議を唱え、インド・中東回廊をBRIのライバルとして推し進めている。


3️⃣エネルギー攻撃:ロシアのガスプロムを排除するため、セルビアのNISに制裁が課された。ハンガリー・セルビア間の新たな石油パイプラインが発表されたが、その後、ハンガリーの主要製油所が爆発により不可解な被害を受けた。


4️⃣天然ガス段階的廃止:EUはロシア産天然ガスの輸入禁止に動いており、トルコストリーム・パイプラインを通じたセルビアへのエネルギー供給を直接的に脅かしている。


要点:

新たな多極化時代において、西側諸国は経済、政治、インフラ面で組織的に「楔」を仕掛け、中国、ロシア、そしてセルビアやハンガリーといった主要な欧州パートナーとの戦略的協力関係を分断しようとしている。ユーラシアの貿易ルートの支配をめぐる争いは激化している。


出典:FB Norman Finkelstein

ユーラシアの運輸交通ハブとなるイラン

イランはBRICSインフラ革命の中心地となりつつある。

イランをハブとする新たなシルクロードが正式に開通した。

中国との新たな鉄道路線とインド・ロシア廻廊における重要な役割により、イランの立場は政治的なだけでなく、構造的なものとなった。



デビッド・ボーイのナホトカ航路シベリア鉄道

 デビッド・ボーイは1973年のツアー最終の横浜公演の帰途、ナホトカ航路シベリア鉄道でモスクワへ、そしてポーランド、ドイツ、フランス、そしてドーバー海峡を渡り英国へだった。その背景はボーイが飛行恐怖症だったゆえにの選択だったとのこと。




Thursday, 11 December 2025

5カペイカ

 1985年、モスクワの地下鉄、バスは5カペイカ均一だった。100カペイカ=1ルーブル。

1985年のドル円レートは236.91円(9月)、ドルルーブルは0.838、1ルーブル=282.7円、282.7x5/100=14.135円。

モスクワ地下鉄、バスの料金は円換算で14.135円均一となる。




Tuesday, 9 December 2025

くるみボタンの取り付けとヘリンボーンのブレザー復活

 ヘリンボーンのブレザーの上のくるみボタンが取れて、多分、10年以上、その間、クローゼットの肥やし、やっと抜本的に懸案を解消。

アマゾンで皮製のくるみボタンを検索したらこのボタンが見つかった。昨日、奥州市から届き、取り付けた。些細なことでしたが気分的にスッキリ!ヘリンボーンのブレザーが復活する。