Wednesday, 24 December 2025

ボスニア内戦で破壊され復旧したスタリ・モスト

スタリ・モストStari Most / Стари мостは

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタル旧市街、ネレトヴァ川に架かる16世紀、オスマン帝国スレイマン1世の命により建造された石橋(全幅 4.49m、全長30m、水面からの高さ24m)。モスタルの名にもなっているこの石橋がボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992-1995)中の1993年11月9日、クロアチア人勢力により破壊された(2004年6月23日に復旧)。
旧ユーゴスラビア解体に伴う各紛争は非常に複雑でなかなか平易に説明ができないが、スタリ・モストはその渦中で破壊されたので触れておく。

1989年の東欧民主化で東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次ぎ崩壊した。ユーゴスラビアにおいてもユーゴスラビア共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、構成する連邦各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始し、ユーゴスラビア解体が進展した。

1991年6月、クロアチアの独立宣言をきっかけに、クロアチア警察軍とユーゴスラビア連邦軍との間で武力衝突が勃発した(クロアチア紛争)。これを受けてセルビア人は自治区を設立して独立の動きに対抗しようとしたが、ボシュニャク人(ムスリム人)が主導権を持つボスニア・ヘルツェゴビナ政府はセルビア自治区を認めなかったため、両者間での武力衝突が生じるようになった。

1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。当時、同国には約430万人が住んでいたが、44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在していた。ボシュニャク人とクロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナの独立を推進したのに対し、セルビア人は分離を目指した。

1993年春、ボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力の間での対立が深まり、クロアチア人勢力は同年8月にヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国(1991-1996)の樹立を宣言した。クロアチア人勢力はセルビア人勢力と同盟を結びモスタルなどでは、ボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力の間で激しい戦闘が開始された。

 モスタルは東西に分断され、西側はクロアチア勢力が、東側はボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の勢力それぞれ支配することになった。1993年11月8日には両勢力の対峙により、クロアチア勢力側によりスタリ・モストは破壊された。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は1994年に入り米国が介入、NATOがセルビア人勢力へ空爆を行った。

1995年、NATOが攻勢をかけセルビア人勢力はクロアチア方面で敗退しただけでなくボシュニャク人勢力からの反撃にも対抗できなかった。この情勢によりセルビア人勢力も和平交渉への参加を決定し、10月13日に停戦が実現して戦闘が終結した。

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