Friday, 31 July 2015

北カフカスにかつてサーカシアCircassiaという国があった。

カフカスにかつてサーカシアCircassiaという国があったが、19世後半にロシア帝国との戦争Russo-Circassian War(1817–1864)で滅ぼされ(だと思う)、多くのサーカシア人(チェルケス人)(イスラム教徒)が離散、旧オスマン帝国領へ移住した。サーカシアは、現在の北コーカサス、西はTaman Peninsulaから東はNorth Ossetia-Alaniaの範囲だった。アディゲ共和国が中心なのだろうか、国旗がサーカシアと同じだ。統計的にはCircassianはAdygheにカウントされている(約25%)、同じ意味であろう。

このサーカシア人、シリアで仕事をしている時によく耳にした。最初はコーカサスから来た人たちで、アラブではない程度の認識だった。彼らは前述の通りシリアがオスマントルコ帝国領の時にゴラン高原に多く移住しそこで農業を営んでいた、しかし、第2次大戦後、第4次までの中東戦争の影響でその土地も追われてしまった。ダマスカスにも多くが移住した。

ダマスカスのプロジェクトで一緒に働いた女性は、ゴラン高原出身でそのサーカシア人、アラブ人とはちょっと違っていたが言葉は生まれも育ちもシリアなのでアラビア語が母語のようだった。

ある時、皆でダマスカス郊外のマアルーラへ行った時に彼女の遠い親戚だと言ってジョインした若い男はヨーロッパ人のような風貌だった。シリア人の男の友人が結婚しようとした相手がサーカシア人だったので家族に反対されている、ということもあった。一緒に働いた女性はシリア人と結婚し、最終的には男の友人もサーカシア人の女性と結婚した。

北カフカスで少し思い出したことだが、シリアで仕事をしていなかったらこの歴史的な経緯や民族のことなど分からなかっただろう。
http://www.adygheya.ru/

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