1996年1月に初めて崩壊後のソ連邦構成国家の一つ、ウズベキスタンへ出張した時に、戦後、ソ連により日本人が抑留されていたことを知り、シベリア抑留というの認識していたが中央アジアにも抑留者が移送(ウズベキスタンには約2万5千人)、働かされていのはこの時に知った、その抑留期間に約800人の日本人がウズベキスタンで亡くなり、墓地があるこを知った。日本人抑留者墓地については調査団の団長が満州からの帰還者でその辺の事情をよく認識しており、是非、墓参したいとの要請があり、旅程をアレンジしていたウズベクツーリズムに問い合わせたら、直ぐにここだと返答が返ってきて調査団一同で墓参した。
日本人抑留者墓地はウズベキスタンの各地にも存在するが、タシケント市営ヤッカサライ墓地の一角、ドイツ人抑留者墓地の隣、にウズベキスタン日本人抑留者墓地があった。墓石が一つ一つ並べられ、合同慰霊碑もあった。とにかく綺麗に維持管理されていたのには驚いた。
この資料館は市営墓地の入口前にあった。ジャリル・スルタノフさんが館長として運営されていた。確か日本政府より叙勲もしている。資料館は孫娘が新たに館長となり引き続き運営されるとのこと。謹んで哀悼の意を捧げます。
ウズベキスタン 日本人抑留者資料館 開設に私費投じた館長死去
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