駐日ロシア連邦大使館でビザ申請を行う(2011年4月)
実に駐日ロシア大使館でビザ申請を行なうのは1985年以来である。当時はソヴィエト連邦大使館であったが。しかし、大使館の場所もその領事部の場所も変 わらない。麻布狸穴にあるロシア大使館の前に車を止めようと思ったが領事部の前に警察官が立っているのでやや憚られ少し六本木寄りに止めた。
領事部の入り口は大使館とは別、鉄の柵のような門扉を開けて中へ進むと、ロシア人用の窓口とその他用で進む方向が異なる。ところが中へ入ったところ、なぜかロシア語を話す女性が多い、ロシア国籍ではないのだろうか。
それはそれとして、右奥の待合にはかなり多くの人が座っているので、この人たち全てがビザ申請かと思い観察してみるとどうもそうではない。実際に 窓口に並んでいる人は数人のようだ。周囲を良く見渡すと整理番号発券機があり、番号札を取る。窓口は三つ、1、2番が申請窓口で、3番が会計(支払い)窓 口となっている。
待っている間に再度室内を良く見渡す。奥に自動販売機があり、入り口付近にはロシアの案内がおいてあったのだろう、パンフ入れがほとんど空状態 だった。ソ連時代はここへ来るとソ連で出版された日本語のソ連案内が各種あり、まあ、プロパガンダ的ではあったが、かなり楽しめた記憶だ。
前に並んでいた人が2番窓口へ進むと直ぐに1番窓口が空いたので窓口へ進んだ。係員は若い男性、必要な書類(申請書、招聘状)とパスポートを出す。係員が申請書の内容を確認し、不備はその場で書き加えた。いつ渡航するのか、書き忘れていたからだ。
書類の確認が終わると料金が書かれている小さな紙切れを渡されるのでそれを3番窓口へ出す。私の場合、料金は0円にチェックがしてあった。業務ビザ、通常期間(1週間)の受け取りなので窓口に張ってある料金表のとおり無料であった。
3番窓口はソ連時代と変わらない愛想のない年配の女性だった。ただ仕事はテキパキとこなし、イエローの引換証を渡された、それで申請が終了した。
日本以外でロシアビザを何度が取得したがことがあるが、この領事部の雰囲気はソ連時代を思い起こさせる雰囲気があった。 受領の日が楽しみだ。
実に駐日ロシア大使館でビザ申請を行なうのは1985年以来である。当時はソヴィエト連邦大使館であったが。しかし、大使館の場所もその領事部の場所も変 わらない。麻布狸穴にあるロシア大使館の前に車を止めようと思ったが領事部の前に警察官が立っているのでやや憚られ少し六本木寄りに止めた。
領事部の入り口は大使館とは別、鉄の柵のような門扉を開けて中へ進むと、ロシア人用の窓口とその他用で進む方向が異なる。ところが中へ入ったところ、なぜかロシア語を話す女性が多い、ロシア国籍ではないのだろうか。
それはそれとして、右奥の待合にはかなり多くの人が座っているので、この人たち全てがビザ申請かと思い観察してみるとどうもそうではない。実際に 窓口に並んでいる人は数人のようだ。周囲を良く見渡すと整理番号発券機があり、番号札を取る。窓口は三つ、1、2番が申請窓口で、3番が会計(支払い)窓 口となっている。
待っている間に再度室内を良く見渡す。奥に自動販売機があり、入り口付近にはロシアの案内がおいてあったのだろう、パンフ入れがほとんど空状態 だった。ソ連時代はここへ来るとソ連で出版された日本語のソ連案内が各種あり、まあ、プロパガンダ的ではあったが、かなり楽しめた記憶だ。
前に並んでいた人が2番窓口へ進むと直ぐに1番窓口が空いたので窓口へ進んだ。係員は若い男性、必要な書類(申請書、招聘状)とパスポートを出す。係員が申請書の内容を確認し、不備はその場で書き加えた。いつ渡航するのか、書き忘れていたからだ。
書類の確認が終わると料金が書かれている小さな紙切れを渡されるのでそれを3番窓口へ出す。私の場合、料金は0円にチェックがしてあった。業務ビザ、通常期間(1週間)の受け取りなので窓口に張ってある料金表のとおり無料であった。
3番窓口はソ連時代と変わらない愛想のない年配の女性だった。ただ仕事はテキパキとこなし、イエローの引換証を渡された、それで申請が終了した。
日本以外でロシアビザを何度が取得したがことがあるが、この領事部の雰囲気はソ連時代を思い起こさせる雰囲気があった。 受領の日が楽しみだ。
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