目黒雅叙園アルコタワー、区の癌等検診(大腸癌、肺癌、胃癌リスク、肝炎ウィルス)のために久しぶりにアルコタワー内のクリニックに。雅叙園本館には行かず、1階に降りて来たらアラブの国旗が目の前に、UAE大使館が越して来ていた。このアルコタワー、外資系が多かったことを思い出す。アネックスにはAmazonが入っていたが、目黒駅前の目黒セントラルスクエア移転済みかも。目黒雅叙園は1991年に全面的に建替してリニューアルオープン、2002年に経営破綻して所有が上下分離され複雑な所有形態になっていった。
目黒雅叙園は、1928年(昭和3年)に石川県出身の細川力蔵が芝浦に芝浦雅叙園として料亭として創業したのがはじまり、1931年(昭和6年)に現在の地へ移転し目黒雅叙園となる。目黒駅前に海軍大学、目黒区三田には技術研究所などがあり海軍関係者が大顧客だった。戦時中は海軍病院分室として使われた。
戦後、合資会社雅叙園として同族経営が行われてきたが、運営会社であった雅秀エンタープライズは
が2002年に経営破綻し、外資系ファンドのリップルウッド・ホールディングスに買収された。雅秀エンタープライズは、現在の株式会社目黒雅叙園として再建され、2004年5月にはワタベウェディングがその株式の66%を取得して傘下となった。ワタベウェディングは2005年1月に残り34%も取得(合計100%)、目黒雅叙園を完全子会社とした。
2014年8月、森トラストが目黒雅叙園及びアルコタワーなどのすべてを、所有するローンスターから買収後、2015年1月、中国政府系ファンドの中国投資有限責任公司(CIC)が融資した米ファンドのラサール・インベストメント・マネージメント・インクが取得。2017年4月1日、ホテル雅叙園東京に施設名称を変更。2025年1月、カナダの資産運用会社ブルックフィールド・アセット・マネジメントが雅叙園の土地や建物の一部を取得。
目黒雅叙園の旧館は太宰治の小説『佳日』にも登場する。絢爛たる装飾を施された園内の様子は「昭和の竜宮城」とも呼ばれ、ケヤキの板材で作られた園内唯一の木造建築「百段階段」とその階段沿いに作られた7つの座敷棟宴会場の内の4つは、2009年3月に東京都指定の有形文化財(建造物)に指定された。
現在の敷地は1991年11月に、総工費850億円で大リニューアルしたものである。旧館の老朽化と、隣接する目黒川の水害対策の拡張工事が重なったことから膨大な美術品を修復して移築復元する方法がとられた。設計は日建設計、施工は鹿島建設が担った。
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