2021年2月の車検時にはブレーキパッド4㎜、残量3㎜で警告点灯とのことで警告が点灯してから交換すればよいとのこと、だったが、それから2-3カ月で警告灯が点灯、早過ぎなのではとおもったが、2021年7月に交換(ヤナセ)した。
ディスクブレーキパッド、@15,700x1=15,700円
ブレーキパッドウエアセンサー、@2695x2、5,390円
ブレーキディスク(フロント)、@16,060x2=32,120円
TSディスクブレーキパッド、@10,054x1=10,054円
2021年2月の車検時にはブレーキパッド4㎜、残量3㎜で警告点灯とのことで警告が点灯してから交換すればよいとのこと、だったが、それから2-3カ月で警告灯が点灯、早過ぎなのではとおもったが、2021年7月に交換(ヤナセ)した。
2017年7月にタイへ出張したときのこと、タイのATMからのキャッシング手数料は非常に高いことを今更ながら思い出した。
そして現金を両替するのに銀行と両替商共パスポートを要求される。6000Bで3.67%の手数料、金額が3000Bでも同じなので手数料率は7.3%になる。これはタイ側の銀行手数料、そして日本のクレジットカード会社も手数料を課金し、さらに引落し迄の利息が発生する。
中国残留孤児、この言葉を聞いたのは1980年代初めだったと思う。満洲や朝鮮半島にいた日本人の生活が日本の敗戦で状況が激変、様々な理由で現地に残されてしまった。ソ連軍が迫る中で民間人が逃げ惑ったこの厳しい想像を絶する状況を認識し始めたのもこの言葉がきっかけだった。それまでは教科書とニュースの表面的な字面だけの情報しか持ち合わせていなかった、お恥ずかしいことだが。
1986年2月、東京オリンピックで選手村として使われた代々木公園の中にあった国立オリンピック記念青少年総合センターで厚生省により中国残留孤児の訪日面談が行われていた。なぜ知っているかと言えば、そこにいたからである。訪日調査は門に近い建物の1階で行われていたが、私は同じ建物の2階で行われたある採用試験に行ったからで、この予定は全く承知してなった。
夕方だったと思うが、面接を終わって出てくると小雪が舞い散るなか、TVレポーターが実況中継をしていた。残留孤児の訪日調査は1981年から行われている、私が遭遇したのは1986年、昭和61年2-3月に行われた第10次で130人が来日した。その初日だったのかもしれない。第10次で34人の身元が判明した、既に26%とかなり判明率が落ちているが最初の5年ほどは50%以上の判明率で初期のが高い。この記事の方が身元が判明しなかったが永住帰国は果たせたようで何よりです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210625/k10013096091000.html
訪日調査の実施状況及び身元判明率の推移(平成18年8月31日現在)