Saturday, 1 November 2014

【イスタンブール紀行2014-08】コンスタティノープルの陥落とメトロの壁画

地下鉄タクシム駅構内に「コンスタンティノープル陥落」の様子を描いた壁画がある。

コンスタンティノープルは、西暦330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、古代ギリシアの植民都市ビュザンティオンに建設した植民都市で、395年のローマ帝国東西分割後は、東ローマ帝国の首都となった。

そのコンスタンティノープルは、1453年5月29日未明、メフメト2世率いるオスマン軍は城内への総攻撃を行い、門を閉め忘れた城門から城内へと侵入し、コンスタンティノープルは陥落し、最後の皇帝コンスタンティノス11世は乱戦の中で戦死、東ローマ帝国は滅亡した。

その戦いの様子が壁画に描かれている。特に「オスマン艦隊の山越え」、金角湾の北側の陸地(ジェノヴァ人居住区、ガラタの外側)に油を塗った木道を造り、それを使って70隻もの船を陸越えさせ金角湾に移す作戦に出た。この奇策に東ローマ帝国軍の士気をくじくことになったとされる。

陥落後のコンスタンティノープルは「コスタンティニエ」と改称(イスタンブルが公式に使われたのは1930年)に、総主教座のあったハギア・ソフィア聖堂はアヤ・ソフィアモスクに改装された。正教会に対しては多くの聖堂をモスクに改造して抑圧策をとる一方で、人望の篤い修道士であったゲンナディオス・スコラリオスをコンスタンティノープル総主教に任命し、正教徒の懐柔にあたった。

コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)
塩野 七生
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