ロシア語の発音、アクセントの無い”О”は”А”と発音する。ウオッカのСтоличная Stolichnayaは、アクセントがoにないのでaと発音し、スタリーチナヤとなる。
日本での販売時の表記は殆どがストリチナヤである。ちなみにロシア三大ウォッカはスタローヴァヤ、モスコフスカヤ、そしてこのスタリーチナヤである。
ロシア語の発音、アクセントの無い”О”は”А”と発音する。ウオッカのСтоличная Stolichnayaは、アクセントがoにないのでaと発音し、スタリーチナヤとなる。
日本での販売時の表記は殆どがストリチナヤである。ちなみにロシア三大ウォッカはスタローヴァヤ、モスコフスカヤ、そしてこのスタリーチナヤである。
目黒駅開業140周年!目黒駅だけではない140周年。
1885年(明治18年)3月16日、日本鉄道の駅として開業、旅客営業のみ。この年、品川駅から赤羽駅までの路線が開業し渋谷駅、新宿駅、板橋駅、次いで目黒区、目白駅が開業した。山手線(35.5km)は1925年(大正14年)に環状線化した。
NHK 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(8)逆襲の『金々先生』の最後に近所の目黒不動尊(龍泉寺)が放映された。この回の「金々先生」では黄表紙「紀行金々先生栄花夢」(安永4年(1775年)刊行。恋川春町の作・画)が人々の心を奪った様子が描かれている。その金々先生こと金村屋金兵衛が目黒不動尊にお参りした後の物語ゆえ、霊験著しく諸人の知るところとなったとのこと。それ以前に徳川家光が鷹狩りの最中に鷹がいなったが目黒不動尊で祈ると境内に戻ってきたとの逸話もある。
金々先生栄花夢(あらすじ抜粋)
昔、ある村に金兵衛という人がいました。貧乏暮らしがつくづくいやになった金兵衛は、江戸に出てひともうけしようと考えます。目黒不動尊にお参りした後、茶屋でひと休みして餅が出来るのを待つうちに眠ってしまった金兵衛。ふと目を覚ますと、江戸で商いをしている大きな店の番頭さんが、目の前で頭を下げているではありませんか、。
<中略>
と思ったらそれは全て金兵衛の夢で、目が覚めたのはちょうど粟餅が出来上がる時分のこと。金兵衛はハッとして、たとえ人間栄華を極めたとしても、それも一時の夢のようなはかないものなのだと悟り、そのまま生れ在所へ帰ったのであった。
あらすじ全文はコメント欄wiki参照のこと。
3月1日はブルガリアでは春の訪れを祝うBaba Marta Day(Grandma Marta Day)、マルテニツァ(装飾品)は、通常リストバンド、小さな糸人形、またはタッセルの形をしており、赤と白の糸を組み合わせて作成され、その日と3月を通して着用する。コウノトリやツバメが見えるまで着用され、春の到来、暖かい気候、幸福を象徴している。コウノトリやツバメが現れると、マルテニツァは外され、芽吹く木に吊るされる。が既に木に吊るされている写真ばかり。
マルテニツァの紅白の赤は「生命/誕生」を表し、白は「新しい/明確な根拠」を意味する。組み合わせると、「新生児」、「再生」、「新しい始まり」を意味し、生命と生存を祝福する。もう一つの説明は、白は知恵を、赤は健康を表し、マルテニツァをプレゼントする人は一年を通してあなたに両方を願っていることを意味する。
Baba Martaは、いくつかの言い伝えがある。ババ・マルタは、JanuaryとFebituaryの2人の兄弟といつも仲が悪く元気で気性の荒い女性だと考えられ、彼女が微笑む時だけ太陽が顔を出す。ある人は、彼女は春の前の大掃除をし、最後にマットレスを振るとそこから出てくるすべての羽は、雪のように地球に降り注ぐ、これがその年最後の雪となる。3/1の他、3/9(Mladenci: Forty Martyrs of Sebaste)、3/25(Annunciation)にもBaba Marta Dayとして祝福される。
写真: Beautiful places from Bulgaria and wiki.
成田空港が開港して47年、初めての海外渡航は開港数年後にこの成田からだった。そのB滑走路の2500mから3500mへの延伸工事が発注されたとのこと。
成田空港は1978年5月20日にA滑走路のみで開業、計画ではB及びCの3滑走路だった。これは空港反対派と支援団体による反対運動により遅延。
第2ターミナルが1992年に、第3ターミナルが2015年に完成、他方、滑走路はA滑走路(4000m)のみで運用、2005年になりB滑走路(計画より短い2180m、2009年に2500mに)の運用開始、今般、3500mへの延伸工事が発注された。旧C滑走路(当初3200m)用地は反対派の一坪地主多数で用地買収が遅延、その間に新C滑走路3500mがB滑走路の南側での建設準備が進められ2028年度中に運用開始予定。
2010年10月から羽田空港の国際線ターミナルの運用が開始され、毎回、成田迄行かなくてよくなったが任せておくと成田になることがあった。航空運賃は安い、発着時刻の関係で成田を選択することもあった。
新滑走路の整備等
2020/2/28、昨日の横浜港、離陸直後のNH869羽田-マニラ便より、大黒埠頭に停泊中のダイヤモンドプリンセス号も見える。新型コロナウィルス感染者多数との報道だった。WHOが新型コロナウィルスによるパンデミックの可能性を言及した。
2007年2月27日、アルマティからビシケク(235㎞)へ車で戻る途中、コルダイ峠の手前の草原地帯で、ドライバーがトイレで停車した。
この時はビシケクからアルマティへ移動して元国税庁職員とアルマティで合流、2/26-3/9の間、アルマティとビシケクで聴き取り調査や国境管理施設、税関などの調査を一緒に実施し、ビシケク後は空路でタシケントへ移動し見送った。
アルマティからコルダイ峠手前までは路面の雪はなく普通に走って来たが、峠に差し掛かりアイスバーンになった。スタッドレスを履いているので躊躇することなく進んだ、慣れたドライバーだった。
この出張では主に陸路を走り陸上国境を多く通過したし、国境管理施設の視察も行った。
タシケント‐フジャンド‐タシケント‐ドシャンベ‐テルメス‐タシケント(空路)‐ビシケク(空路)‐アルマティ‐ビシケク‐タシケント(空路)‐サマルカンド‐ブハラ‐タシケントと、よく走った。
2023/2/25、
ハッサク(八朔) Citrus Hassaku Groupと言う柑橘類、妹の嫁ぎ先の空宅地に便宜的に植えられ、実を付けていたのでお裾分けをいただいた。このハッサク、尾道に原木がある。万延年間(1860年)、村上水軍の城跡、青影山の南麓(広島県尾道市因島田熊町)に、浄土寺の第15世住職、小江恵徳上人の生家があり、その近くに生えた雑柑が「ハッサク」の原木であった。
因島には古くから多種類の雑柑があり、温暖な気候で柑橘類が育ちやすい自然条件が整っていたほかに、村上水軍が東南アジアまで勢力を広げ活躍した際に遠征先から苗木や果実を持ち帰ったことも尾道原産の背景にあるようです。柑橘類は実生して交配を繰り返すと雑柑となり、その中の一つがハッサク(八朔)、
八朔と言う名は、八月朔日の略である八朔、旧暦の8月1日のことである。今は2月なのでかなりズレている。
ハッサクはナツミカン(夏蜜柑、夏代々)よりも、甘夏ミカン(川野夏代々、1935年に大分県の果樹園、川野により夏ミカンから選抜)よりも甘い。ナツミカンは江戸時代中期、黒潮に乗って南方から、山口県長門市仙崎大日比(青海島)に漂着した文旦系の柑橘の種を地元民(西本於長)が播き育てたのが起源であり、今でも山口県はナツミカンの産地である。浜松は三ヶ日みかんで有名ですが、湖西市の道の駅潮見坂で地場産の甘夏ミカンをたくさん販売していた。
柑橘類には目がないのです、というわけであっという間にいただきました、若干、昨日のビジネスランチの手土産に持っていきました。
W210キーのバッテリー交換、リチウム電池のCRC2025電池を2個必要とする。
純正品はVATRA製(ドイツ製、純正バッテリーと同じメーカー)の電池だった、これをディーラーで交換するとXXXX円となる。Amazonで購入すると東芝製5個で668円、ソニー製(現在はMURATA)は5個で580円。
キーの上のボタンが黒とグレーがある、これはスペアキーとの区別なのかも。
ボタンを押しながらバッテリーケースを上へ引っ張り出す、固くて引っ張り出しにくい。
2025年のマースレニツァ(バター祭り)は2/24-3/2。
主に東スラブ諸国で行われる東方正教会の祭事。ロシア風クレープ=ブリヌイにつけるバターが語源であり「バター祭り」の意。転じて、来るべき春を待ち望む気持ちをこめて「冬を送る祭り」である。 四旬節の前の最後の1週間、イースター(2025年は4/20)の7週間前に行われる。
マースレニツァ最終日の日曜日は「赦罪の日」、この日は、知り合い同士、すべての無礼にたいし赦しを請う。
晩には、マースレニツァの藁人形に火をつけ、冬が春に席を譲る
写真はロシアビヨンド、露大使館。
2025/2/9
2018年1月に海外勤務のため長期間留守にしていた。帰国してドアをリモコンキーで開けようとしたが動作せず、そしてエンジンをかけようとしたが始動せず、どうやらバッテリーが上がったようだった。ヤナセに電話したら自動車保険でエンジンを掛けてくれるサービスあるよ、とのことだった。自動車保険は全労済のに掛けているが調べたら確かにそういうサービスがあったので連絡して自宅まで来てっもらった。これは無料サービスだった。
W210のバッテリーはリアシート、運転席側に収められている。リアシートは両側にストッパーがあり、それを指で上へ持ち上げて外すが、コツがある。
最近、「注意 バッテリー電圧が低下したためエンジンを始動しない場合は3分以内にシステムをオフにします」というメッセージがナビディスプレイに表示されるようになった。バッテリーが弱っているのか。
車検を通したばかりでその際何もコメントなかったが、既に交換して7年なのでそろそろ交換だろう。その前にバッテリー液を補充するつもりで、補充液を先日、ウインドウウォッシャー液とともに購入してある。
バッテリー仕様:
A000982330828
12V - 100Ah 760A(EN),2018年1月に交換、44,604円(技術料3564+部品41040)
2025/2/16
2000年2月初年度登録のW210後期型。
キーを差してエンジンを始動しようと回すと点検から何日過ぎていますというスパナマークがt常に表示される。ディーラーで点検した後にはリセットされているが、今回、車検をヤナセではなくイエローハットにお願いしたので、整備経過日数が継続している。検索したら下記リンクのとおり、容易にリセットできるとの説明だったのでDIYでやってみることにした。
このwebにはヤナセでのリセット代金が9000円と見積られたと説明がある。資金に糸目をつけなければディーラーで整備修理するので問題ないが、懐具合を勘案してできるだけリーズナブルにと考えるのは庶民の常識。ディーラーでしか出来ない修理整備は仕方がないが、車検を含めたそれ以外はイエローハットやオートバックスなどのカー用品ショップ、車両修理工場などで十分に対応可能だ。
このウェブにあるように、この時点でRボタンをリセットしようとしたが、画面が表示されない。マニュアルを持ってきて読み直しているが記載されていない。どうもリセット方法が間違っているのかもしれない。
「W210 メンテナンスA リセット」と検索し直したらいくつかヒットした。
W210後期 スパナマークリセット方法
https://minkara.carview.co.jp/userid/645450/car/605624/1512372/note.aspx
上記より
1.一度エンジンをかけ、スパナマークが消え走行距離の表示がでるまで待つ
2.イグニションキーを0にする(鍵は抜かない)
3.イグニションキーを2にする(エンジンがかかる1つ手前)
4.メーターパネル左にある0ボタンを2回押す(スパナマークが表示される)
5.スパナマークが表示されると0ボタンをもう一度押す(押しっぱなしにする)
6.0ボタンを押したままイグニションキーを0にして直ぐに2にする
7.0ボタンを押したまま10秒ほど待つと SERVICE IN 15000km と表示されると同時にピーと電子音がなります。
8.0ボタンから指を離しイグニションキーを0に戻して作業終了です。
>結果、上手くできなかったので、仕切り直す。
米国国務省の機密文書が開示され、1990年代後半にロバート・コチャリャン Robert Kocharyan・アルメニア大統領とヘイダル・アリエフHeydar Aliyev・アゼルバイジャン大統領(先代)が、メグリとカラバフの交換という領土交換でナゴルノ・カラバフ紛争the Nagorno-Karabakh conflictを解決しようと1999年9月に最終合意していたことがわかった。実現に至らなかったのは、その直後の1999年10月にアルメニア国会での銃乱射事件で、Prime Minister Vazgen Sargsyan, National Assembly Speaker Karen Demirchyan, and six other officials らの主要閣僚が暗殺され、政権バランスが崩れこの合意は履行されなかった。