3月末にアルメニアの首都エレバンからグルジアの首都トビリシへ2泊3日で出張した。移動は車、都市間距離は約300キロ、1日目と3日目は移動となったため実質1日しかトビリシ市内に滞在していないがそれでも空き時間を利用してトビリシを散策した。本来歩いて散策したかったが時間が許さず、ほとんど車での散策となったことは残念の極み。これまでOld Tbilisiというワインは飲んだことがあるが、Tbilisi Cityは初テイストととなった。
アルメニア国内は往路と復路のルートを変えて移動し道路状況を視察、往路の途中、1988年12月7日にM6.7の地震が発生し、死者25000 人以上(5万とか7万人という数値もみられる)ともいわれている被災地スピタクを通過した。日本政府は国際緊急援助隊をソ連・アルメニア共和国へ派遣している。
トビリシの第一印象は、サラエボの都市構造とよく似ているということだ、市内中央をムトゥクワリ川が流れその谷の両側に市街地が広がっている、一部両側が旧市街となるが今回は足を踏み入れる時間が無かった。サイズはサラエボよりも大きく、やはり移動には車が必要だ。地下鉄が1路線あり、移動のため 1区間だけ乗車した。他のCIS諸国と同様、まったくモスクワと同じシステム、運賃0.5ラリ也(USD=1.74Lari)。
早春のワインディングロードは淡いピンクの杏の花や黄色い花が咲く山野を眺めながらのドライブ気分、しかし、4000mを越す山の麓は一部雪であった。地方都市をいくつか通過したが、ソ連時代の産業は壊滅的な打撃を受けているようで皆廃墟にしか見えなかったのも印象的だった。
アルメニア国内は往路と復路のルートを変えて移動し道路状況を視察、往路の途中、1988年12月7日にM6.7の地震が発生し、死者25000 人以上(5万とか7万人という数値もみられる)ともいわれている被災地スピタクを通過した。日本政府は国際緊急援助隊をソ連・アルメニア共和国へ派遣している。
トビリシの第一印象は、サラエボの都市構造とよく似ているということだ、市内中央をムトゥクワリ川が流れその谷の両側に市街地が広がっている、一部両側が旧市街となるが今回は足を踏み入れる時間が無かった。サイズはサラエボよりも大きく、やはり移動には車が必要だ。地下鉄が1路線あり、移動のため 1区間だけ乗車した。他のCIS諸国と同様、まったくモスクワと同じシステム、運賃0.5ラリ也(USD=1.74Lari)。
早春のワインディングロードは淡いピンクの杏の花や黄色い花が咲く山野を眺めながらのドライブ気分、しかし、4000mを越す山の麓は一部雪であった。地方都市をいくつか通過したが、ソ連時代の産業は壊滅的な打撃を受けているようで皆廃墟にしか見えなかったのも印象的だった。
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