Sunday 8 March 2015

目黒駅前の旧海軍大学校跡地とシティコート目黒

JR山手線目黒駅東口から徒歩2分、目黒通りを渡ったところに公団住宅らしい「シティコート目黒(賃貸)」が建っている。ここは間違いなく公団住宅のデザイン、公団というのは日本住宅公団のこと、その後、組織の再編により名称が変わり、現在は都市再生機構、通称「UR」と呼ばれている。以前は九段に本社があったが横浜へ移転してしまった。
 
山手線の目黒駅前にこのような大規模な土地が確保できたのは、公共施設の跡地であろうことは容易に想像できるが、それが何なのか、ということ。この「シティコート目黒」は竣工が2002年と比較的新しい、ここは元々どのような公共施設があったのか?
 
 




 
 ネットで調べるとここは旧海軍大学校跡地、戦後、国立予防衛生研究所となり、一部、映画の撮影所であった。海軍大学校の建物は現在のシティコート目黒を建設するまではこの地に残っていた。平成14年、2002年に集合住宅となった。
 
【海軍大学校用地の経緯】
1888年(明治21年)7月14日、勅令第55号により海軍大学校官制制定。同年8月28日東京・築地旧海軍兵学校生徒館に開校
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で被災、同年12月末応急仮校舍の大部分が竣工
1932年(昭和7年)8月27日、東京・上大崎元陸軍衛生材料廠跡に移転、
1932年9月1日 新校舍にて授業開始
1945年(昭和20年)5月以降は機能を失い、終戦後、海軍大学校は廃止。
1947年 東京大学附属伝染病研究所(現・東大医科学研究所)庁舎内に厚生省所管国立予防衛生研究所を設置
1950年 毎日新聞社が海軍大学跡地の一部(現首都高側)を払下げを受け子会社である東日興業が東日興業スタジオを運営。
1952年 東宝が東日興業が東日興業スタジオを買収し、傘下の東京映画が、東京映画撮影所として新装開所した。開所第1作は、加藤譲製作、豊田四郎監督、三国連太郎・岡田茉莉子主演の『春の囁き』だった。
1955年(昭和30年)国立予防衛生研究所が海軍大学校跡地に移転
1962年 東京映画撮影所が世田谷へ移転、その跡地に日本映画新社が入居、日映新社撮影所となる、通称、目黒スタジオ
1992年(平成4年)国立予防衛生研究所、新宿区の厚生省戸山研究庁舎に移転
1997年(平成9年)国立予防衛生研究所が国立多摩研究所を統合し、国立感染症研究所に改名
1999年(平成11年)国立予防衛生研究所の建物解体
2002年 日映新社撮影所、同地を売却、新橋へ移転
2002年6月/8月 都市基盤整備公団がシティコート目黒(全4棟)が完成
2004年7月 都市基盤整備公団(日本住宅公団+宅地開発公団=旧住宅・都市整備公団)と地域振興整備公団地方都市開発整備部門が統合し都市再生機構が発足
 
  
 
海軍大学校内図 

昭和49年航空写真
 

1947年航空写真
 出典:http://golgo13.main.jp/060212/060212.htm

【シティコート目黒】
JR山手線・東京メトロ南北線・都営三田線「目黒」駅から徒歩2分
間取り:1K~4LDK
床面積:39~96平米
月額賃貸料:144,800~326,200円
共益費:6,000円
総戸数:484戸
完成:2002年、平成14年6月・平成14年8月
敷金は月額賃料の2か月分
駐車場:月額税込37,800~46,224円
http://www.ur-net.go.jp/akiya/tokyo/20_6520.html

シティコート目黒
http://sumai.ur-net.go.jp/chintai/s/danchi/1020652.html

デベロッパーは、日本住宅公団の流れをくむ、都市再生機構、すべて賃貸住宅、ネットからの情報は以下の通り。

独立行政法人都市再生機構
〒231-8315
神奈川県横浜市中区本町6-50-1 横浜アイランドタワー 
TEL:045-650-0111(代)

間取り:1K~4LDK
床面積:39~96
月額賃貸料:144,800~326,200
共益費:6,000
総戸数:484
完成:平成14年6月・平成14年8月

敷金は月額賃料の2か月分
駐車場:月額税込37,800~46,224円

現在、シティコート目黒
平成14年6月・平成14年8月

1K56平米の部屋が20.9万円で募集中、この情報から平米月額賃料は3732円。
以上

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